純文学はなぜつまらないと言われるのか? というか、芥川賞はなぜ暗い話ばかりなのか?
純文学はお好きですか?
と聞かれたら、なんと答えるでしょうか?
恐らく、つまらないという意見が一般的には多い気がする。
僕の意見は、好きな作品もあるが、正直面白くない作品もある。
というか、後者の方が多いという印象が強い(好みではない作品が多いと書くべきでしょうが)。
それに、なんであんなに暗い話ばかりなのだろう?と思うのだ。
新人賞受賞作品や芥川賞受賞作品を読んでみても、まぁ暗い話が多い。
(嫌いではないけど)
暗い話の方が物語に装飾がしやすいことは理解できるのだが、それにしてもだ。
今まで普通だったのに、最後の一ページで暗いオチをつけた芥川賞候補作品を最近読んだので尚更思っている。
それが純文学の定義なのだろうか?
選考委員はそんな作品を沢山読んで心が疲弊しないだろうか?
もうちょっと脱却した何があってもよろしくね?と思うのは異端なのか。
昨今では、本屋大賞作品の方が、売り上げ面、エンタメ面でも優れているものが多い気がするのだ。
まず、そんな純文学とは何か?その定義を調べてみる。
・純文学の定義
純文学とは、文芸誌から発表される作品が純文学と呼ばれる。
(まぁ定義は割とあっさりですよね)
そして、主に有名な5大文芸誌なるものが存在し、
(Wikipediaによると日本ではあと他4誌ほどの文芸誌があるのみ。全部で9誌のみ)
その5大文芸誌とは、
新潮(新潮社)
群像(講談社)
文藝(河出書房)
すばる(集英社)
である。有名な出版社ばかりですね。
そう考えると、逆にまたクエスチョンマークが生まれませんか?
名だたる出版社だらけなのに、そこから出版される純文学はイマイチ面白くないものが多いのです。知名度が高い芥川賞受賞作品でも。
言ってしまえば、商業的ではない。
しかし、逆に言えば、売り上げを気にしない姿勢はクールで威厳があるような感じがし、難しいところである。
純文学では娯楽性より芸術性を評価されるらしいが、純文学を読んでいても芸術性をいつも感じることはない(自分の感性の問題だろうけど)。
2000年以降で文体が印象に残った作品はパークライフ、アサッテの人、穴、きことわぐらいかもしれない(受賞作品全部読んでいませんが。すみません)。
コンビニ人間や乳と卵、1R1分34秒(オチ)などは話は良かったが、文体が印象的か?と聞かれたら、凡人の僕にはわからない。
そもそも純文学に芸術性以外の起承転結や比較的明るい話を求めることがナンセンスなのだろうか?
ところで、芥川賞と対をなす直木賞は純文学ではなく、大衆文学括りであり、
芥川賞からすれば、商業性、エンタメ性性は直木賞に任せた!!みたいなノリがあるのを感じる(近年の歴代直木賞受賞者は芥川賞より売れっ子な人が多いと思う)。
ただ、純文学を読んでいると、話の内容がそんなにでも語彙力、引き出しが凄いと感心する事が多い。
そこを楽しむものだと言われたら、確かに楽しめる気もしてくる。
コーヒーで例えると、まず好き嫌いで分かれ、嫌いならそこで遮断して終わり、
好きなら豆の種類や焙煎方法などに興味が移っていく感じなのだろうか?
どこか批判的なブログになったが、純文学に対して、自分には書けないものばかりだから勿論リスペクトはあります。
そして今、ちまちま純文学を読んでいる途中です。
案の定、暗いはなし~。