純文学の魅力が少しづつ理解できてきた。海外文学賞も気になるところ。
純文学はつまらない。とよく聞きますよね。
僕も全ての純文学が面白い!と思う訳ではないですが、
最近になって、色々と純文学を読み漁っていくうちに、徐々に面白さが分ってきました。
何度も飲むうちにアルコールの美味しさがわかってくるような感じです。
まず純文学を読む姿勢として、
起承転結を求めない。というのがあると思います。
現代人は起承転結に慣れ過ぎていて、小説には起承転結が付き物だと思っていますが、
純文学にははっきりとした起承転結があるものの方が少ない気がします。
アニメだと後期の宮崎駿監督映画、千と千尋以降のようなものが例えとして分かりやすいかもしれません(いや、どうかな?)。
前後関係、物語をはっきりと描かない姿勢です。
だから人によっては、は???の感想もあります。
では、起承転結を求めないとなると、何を求めるのか?
著者の描写筆力、語彙力、観察力などだと思います。
純文学は芸術性を求めますが、芸術とはその人自身の事だと思うんです。
文体にその人が現れるんだと思います。知らんけど。
・けど、長い純文学は読むのがだるい。海外文学賞が気になりはじめる。
起承転結がほとんどないと分かっていれば、長編の純文学を読むのは骨が折れます。
芥川賞作品ぐらいの薄さが丁度いい気がします。
しかし、海外での純文学的な立ち位置?のフランスの有名文学賞のゴンクール賞、イギリスのブッカー賞、アメリカの全米図書賞などの文学作品が気になるところである。
起承転結やエンタメ性はどうなのか?
日本の純文学は特有のガラパゴス的なものなのか?
そこが気になります。
しかし問題があり、WiKiで見る限り、フランスのゴンクール賞を受賞した作品は翻訳の問題からか、日本語訳されている作品がかなり少ない。
なんかもったいなく感じる。まぁ需要がないんだろうけど。
一方、ブッカー賞はまずまず多い。しかし、タイトルを読む限り、
日本の純文学とは毛色の違いを感じます。サスペンスチックな感じ。
全米図書賞もブッカー賞と同じ翻訳数とタイトルから似たような雰囲気が漂っています。
これから近年の海外文学賞受賞作、翻訳されているものを読んで、感想をこのブログに書けたら書いていきたいと思います。
時間かかるなー。