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袋いりますか?

           袋いりますか?

 

その言葉こそが、去年の流行語大賞のノミネートに入っても良かったのではないかと思う。

 

心理学では、人は得するより、損する方が印象に残るという話がある。

 

似たようなもので、いい思い出より、嫌な思い出の方が記憶に残っているのは、割と誰しもそうだろう。

マイナスなものの印象って強いですよね。

 

 来年から、コンビニ、ホテルなどで無料提供されているプラスチック製品を来年から有料化にするという新法案が閣議決定された。

 

一消費者として、短絡的に考えれば、不便だなと思うのが普通だと思う。

コンビニがどんどんコンビニエント(便利)ではなくなっていく。

 

 

国際的に大きな発言権、決定権がない日本は、西洋諸国に右ならえをし、環境問題に取り組まなければならない。

 

日本より問題のある国があるだろう!本当に効果があるのか?店員さんの負担が増える!などという意見もネットにはあり、心情的にその気持ちにも理解できるが、

事実、排出権問題もあるので、その取り組みは悪い事ではないと思うし、個人的にはむしろ賛成である。

 

だが、問題なのは、タイミング的にちょっとどうなよの?との人情である。

 

今この現状で、明るい未来を生きようとする前に、将来に金銭的、精神的に負担となることを発表するのは、タイミング的に悪いなとしか思えない。勿論、日本以外の国でも。 

 

2020年7月、ビニール袋が有料化になった。その成果を教えてもらえないまま、次の有料化が決まり、国民にさらなる負担がかかる。

 

たかが数円の問題じゃないか!という意見も勿論あると思うが、

今まで無料だったものにお金が発生するとなると、金銭面より、精神的な負担の方があると思う。そちらの方が強烈なのだ。

 

人は損をしたくないのだ。

 

不思議なもんで、消費増税の時はいちいちレジでのやり取りがなかったので、増税には最初、誰しもが文句を言いながらも、結局は落ち着いてしまった(消費は落ち込んだと思いますが)。

 

しかし、レジ袋は毎回レジに行く度、聞かれる。

(多分、しばらくの間)

 

「いや、いらないです。」が反射的な口癖になってしまっている。

 

これからはスプーン有無などの会話も増える。

 

そうなると心理的に、コンビニなどに寄る気軽さが十円ちょっとで遠ざかる事もあるはずだ。

去年はコロナのせいもあるが、コンビニ全体の売上は下がったらしい。その要因にビニール袋問題も必ずあると思う(底上げ問題もあると思うが) 。

 

 

洋服屋さんでもお会計時、袋いりますか?と聞かれる。

 

ショップ袋を持ち歩く事で、買い物をしたという満足度は上がる。

しかし、袋いります!とは少し言いにくい空気感があるのだ。

 

スタバなどの紙ストローの心理的影響はどの程度のものなのかも気になるところである。

 

人の心が窮屈なこの時代にはできるだけ明るいニュースを必要とし、未来には快適さがあればいいなと思うのである。

 

今は実利的な明るいニュース、それこそが一番必要だと思う。

 

 

極論、環境問題の話になると、地球から人間がいなくなった方が環境にはいいという話になる。

 

そうなると将来的に、SFの話ではなく、各国の面積、経済規模などにより人口制限ルールが設けられる事も無くはない話だと感じる。

 

今後、木を使った、環境に優しい使い捨ての製品が出てくるかもしれない。しかし、今度は森林伐採の問題も出てくるだろう。

 

日本は国際的に豊かな国の方で、色々なものが廃棄処分されているのは事実で、見直すべきところは見直すべきだと思う。

 

だが、なるべくストレスフリーな政策を望みたいところである。

 

何を削減すべきなのか、まずは国民の心の負担なのではないか?

と思うのである。

 

できる人から、プラスチック製品、ちょっと貰うの控えてください。の投げ掛けからでいいと思うけどな~。

 

 

ちっ、地球の喜ぶ声が聞こえるわ!!(ナウシカ風)

 

 

 

 

 

そうだ美術館、行こう

           美術館に行きますか?

 

と聞かれたら、なんと答えるでしょうか?

 

恐らく、積極的には行かない、行く事はあるけどたまに。とかの回答が多いと思います。その気持ちはわかります。

 

美術館は2015年時点で全国に452館あるみたいですが、旅行先などで訪れる、ネットで話題の企画展が催しているなどのきっかけがないと、普段から行く事はないかもしれません。

 

それに、そもそも美術に興味がない方も多いので、行く人に偏りがあるのは間違いないと思います。

 

 

僕は美術館が好きです。美術館目当ての旅行もしています。

アートが好きですし、建築も好きなので、僕にとっては美術館は見所だらけです。

それに立地も面白い場所が多いので、風景も楽しめます。

 

アートを観る魅力は、自分では到底買えないアート、歴史的な作品が数百円から千円ちょっとで観る事ができることや(時に無料。まぁ、旅費などはかかるけど)、様々な人間の創造性に触れる事ができるからです(ここ一番重要)。

 

美術館に行く良さは沢山ありますが、なぜもっと人気にならないのでしょうか?

 

以下自論です。

 

・なぜ美術館に人が集まらないのか?

 

 

日本ではアートの文化があまり浸透していません。

 

その代わりに、漫画、アニメが浸透しており、もはや国を代表する産業までになっています(漫画、アニメもアートなのですが)。

 

なので、漫画、アニメに比べると、美術館に行き、一枚の絵を眺める事に刺激がないのです。

 

値段だけがフューチャーされた作品を観ても、

どこがいいの?この絵は?という感想を持つ人も少なくはないと思います。

 

映画を観たり、漫画を読んでいた方が面白いと思うのは、割りと自然な感想だと思います。だって、そちらの方が物語が明確ですから。

 

 

アートを楽しむには、歴史、アートの文脈を理解していた方が断然面白いのですが、そこの部分はあまり知識として広まっていない印象です(その背景を抜きにしても楽しめる作品なのが理想だとは思いますけど)。

 

 

・美術の現状

 

地方の美術館なんて、土日でさえ閑古鳥が鳴いている場所があります(人が少ない方が、じっくりと絵を観れていいのですが)。

 

地元の美術館に世界的に有名なアーティストの作品が所蔵されていても、そんな事を知らずに見過ごしている人も結構多いのです。

 

近い未来、来場者減少、維持費などの理由から、このままだと存続が厳しいという美術館も出てくると思います。

 

そんな話に直面しても、美術館なんかなくてもいい。と思う人も多いかもしれません。

 

なぜなら美術館は図書館、公園などとは違い、間口が狭く、利用者に直接的な恩恵が少ないからだと思います。それに入場料がいる事が多いですし。

 

美術好きの僕からしても、これじゃ集客できないよなと思う美術館は結構多いのです。

 

しかし、美術館に足を運ぶ人は少ないと書きましたが、 2019年に開催されたフェルメール展には、約68万人が訪れました。

 

そして、SNS利用が多い若者層に対しては、チームラボなどのデジタルアートが「SNS映え」としてウケました。

瀬戸内国際芸術祭、金沢21世紀美術館なども人気です。

 

アートが持つポテンシャルは組み合わせによっては、まだ高いのです。

 

だから、僕は思うのです。

色んな美術館も、もっとアートにエンタメを持ち込むべきだと。

 

近年、自宅、室内で楽しめるエンタメが山ほど増えました。

言ってしまえば、アートなんかも画像で観れてしまいます。

 

だから、美術館側も時代に合わせた変化を少しずつでもいいからした方がいい。今のままじゃ、他のエンタメなどに負けてしまいます。

 

 わざわざ足を運び、実物を目の前にし、アートを観る動機付けをするべきだと思います。

 

 

・締め 

 

 人間は歳をとると、空想の世界より現実の世界へと、興味の目線が変わっていく傾向があると思います(個人差あります)。花鳥風月です。

 漫画やアニメより、作り手の人間そのものの背景が見えやすいアートの世界に興味を持ち始めるような気がするのです。

 

へぇ、こんな捉え方、考え方をする人がいるんだな~と感じると、

よりアートがより身近なものになります。

 

近年、息苦しい世の中のせいなのか、生き方、考え方をアートから導くことをテーマに取り扱った本も増えてきました。

 

アートを人生の中に取り入れる事で(漫画、アニメ含め)、楽しみがより増えると思います。そのきっかけは身近にあります。

 

そうだ美術館、行こう。

 

 

なんかよくわからないブログになりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

客寄せパンダならぬ、客寄せネコ

              猫好きですか?

 

と聞かれたら、なんと答えるでしょうか?

 

このご時世、数年前から世間で猫ブームが到来し、

CM、動画、雑誌など至る所で猫がフューチャーされている。

 

だから、人との会話中、猫嫌いなんて事を言えば、

 

えっーーーーー!!  と非難を混ぜたリアクションを受ける回数が多いと思う(僕は猫好きですけど。ふゅー)。

 

しかし、思うのである。

 

そもそも生態ブームはよくないと思うし、

メディアなどでなんでもかんでも猫を押し過ぎではないか。と。

(ブームに乗っかって、猫を購入した人も増えただろうし)

 

 

猫を使っておけば、客引きができるし、文句は出まい!みたいな雰囲気がプンプンしているのだ。勿論、猫に責任はない。

 

そして、猫は可愛いは正義を具現化している。

 

猫だからこそ、許される行為が多々あるのだ。

 

それを人間社会に持ち込み、可愛いは正義をさらに許容されたものにすると、絶対に不の何かが渦巻くと思う。

 

一般的に、人間がただ可愛いからと言って、ある特定の人物だけをよいしょし過ぎないでいるという美学(芸能系は例外)があるが、

 

人間は動物界においては、猫をよいしょし過ぎている気がするのだ。

 

まぁ現実問題、日常生活の中でも、可愛いは正義を目の当たりにした事がある人も多いと思うけど。

遥か昔から、可愛いは正義はあるから(けど、モラルの問題である)。

 

それに、猫を通じて、可愛いは正義の影響が強くなると、子供たちにも影響がでないか?とも思ってしまう。

勿論、子供はそこまで単純ではないが、世間で猫を可愛がり過ぎていると、子供心にも、結局見た目か……にならない事もないと思う。

 

この話はとんでも話かもしれない。

 

猫は動物なんだから、人間とは違う。それは確かにそうである。

 

 けど、猫以外の動物ももっと可愛がるような、尊重ができる世の中の方が、いいかもしれないと思っただけである。

 

牛や豚にもスポットを当ててもいいのでは?と思ってしまう節もあるのだ。 

 

 だったら、虫も尊重しなさい!犬はどうなんだい?という意見も出てきそうだが、ただこの加熱している(いた)猫ブームについて、ちょっとそう思っただけである。

 

 

最初ら辺にも書いたが、僕は猫が好きである(飼っていないけど)。

 

これは多分、捻くれた考え方である。

 

人間は可愛いものに弱いのだから。

 

だから、あんまりソワソワしないで欲しい。

 

にゃん!!

 

 

を言葉の語尾につける人には、

 

気をつけるんだにゃん!!

 

 

で終わると微妙な空気になりますよね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



 

自撮りをする人、しない人の違い

        あなたは普段から自撮りをしていますか?

 

と聞かれたら、なんと答えるでしょうか?

 

 

たまに、僕は自撮りをする人、しない人の違いはなんだろうか?と考えてしまう。

 

個人的な話になりますが、僕は昔から写真を撮られる事が嫌いでした。

その理由は単に恥ずかしいからというもの。

 

だから、小学生の頃の自分の写真をなんかを見てみると、恥ずかしさを紛らわす為に大抵ふざけた顔をしている。

逆にその方が恥ずかしいなんて、当時は思いもしなかった。

 

はい、チーズ→ 真顔。が好きではなかったのだ。

 (今でもどんな表情でいればいいのかが、よくわからないのだが)

 

それでも今になっては、過去の自分の写真がないのは寂しいなと思い、避けていた写真も機会があれば記録として、人と撮るようにはしている。

 

写真を好きになった訳ではないが、過去の写真がないより、

あった方がいい。そんな考えでいる。

 

ただ、1人でいる時に、スマホを自分の顔に向ける行為に対しては、もう1人の僕が冷静なちょっかいを出し、辞めてしまうのだ(撮ったことあるけど)。自意識過剰だけども。

 

 

話を戻します。

 

世の中には自撮りをする人が結構いる気がする。

それに堂々とその写真をSNSにアップしている(そんな人達がただ目につくだけなのだろうけど)。

 

こうして書くと、そんな人をなんかバカにしている、蔑んでいるように受け取ってしまう人もいるのかもしれませんが、そんな事はなく、 単純に凄いなと思うのである。

 

自尊心があり、自己肯定感が高いからなのだろうか?

 

生きているなら、そりゃ自尊心が高い方がいいだろうし、

自分を卑下するより、自分を愛する人の方が人生楽しいだろう。

 

自撮りをする人にも色々な人がいると思うが、傾向として、割と明るく、己の容姿に関しても特に不満がなく、素直な人が多い気がする。

 

それに男性より、女性の方が自撮りをする人が多い印象がある。

 

前に、何人かの女性に対して、なんで自撮りをするのか?と失礼ながら何度か聞いてみたのだが、 化粧やファッション、髪型をアーカイブする為だと言っていた。

 

そう聞くと、あぁなるほどな。と男の僕は思ったのだ。

 自分の視野が狭かったのだ。

 

 

この世は自撮りをする人、しない人に分かれる。

 

自撮りしない人の理由は、ほとんど同じであり、

自撮りする人の理由は、少し理由にばらけがある。

 

トルストイが書いていた。

 

幸福の形は似通うが、不幸の形は様々であるみたいなノリで。

(自撮りが不幸と言いたい訳ではないです。たまたまです)

 

全く、もう、トルストイったら!!

 

めっ!!!

 

ぱしゃり。

 

お花は贅沢品なのか? 部屋に花を飾るメリット

 家に花を飾る習慣がある人はどの程度いるのだろうか?

 

それは世代によって大きく差があるように思える話だし、

性差の違いもあると思う。偏見だと言われるかもしれないが、

男性より、女性、女性の心を持った方のほうが部屋に花を飾る人は多いだろう。

 

 

巷で、花は贅沢品だと言われている。

 

食べれない、水替え面倒、虫の問題、そもそも花瓶ない、どうせ枯れるのにお金を払うのが勿体ない。

というか、そもそも花を綺麗だと思わない。

 

色んな意見があると思う。

 

しかし、僕は花や枝ものを部屋に飾る事のメリットを身をもって実感した事がある。

いや、メリットと言うほどのものでなく、単なる気づきなのかもしれない。

 

それを列挙してみようと思う。

 

 1 時間の流れに向き合える

花はいつか枯れる。それも近いうちに。

だけど、枯れるからいいのだ。

大切な時間が過ぎ去っていることを 、花が教えてくれる(初っ端からポエマー!?)。

飾った花を写真で取り、年末にでも見返してみるといい。

 

2 季節を楽しめる

冬はさみしいが、季節の花を部屋に持ち込むとより一層、季節を楽しめる気がする。「気がする」というあやふやさなのだが。

 

3 花を飾るようの部屋にするため、物が少ない部屋になる。

 

ごちゃごちゃし過ぎている部屋に花を飾っても、正直、花に目がいかない事が多いし、花が映えない。

花を部屋の一つのメインにすることで、部屋が片付く。

これが一番実質的な作用だと思う。

 

 

心から花が好きな人なら、メリットなどで考えていないだろうと思うが、

部屋に花を飾れば、人生に少し花を添える事ができるような気がする(でた!気がする!)

 

確かに花は値段もする。

だから、心の余裕、金銭的余裕がある時に買えばいいと思う。

僕はそうしている。常時、部屋に花や枝ものがある訳ではない。

 

これからはじめる方は、花より枝ものの方がまだ長持ちするのでいいかもしれない。

そうなると観葉植物でもよくね?と言う話にもなってしまいそうだけど(観葉植物も育ててる)。

 

花を部屋に飾らなくても、人生で困る事はない。

 

毎日慌ただしくて、そんなことしてらんないし、見てらんない人も沢山いると思う。

 

花は贅沢品なのかもしれないが、花を購入して、

日々をちょっとした贅沢なものにしてもいいのかもしれない。

 

この外出し難い今の世の中だからこそ、

余計にそう感じて、この文章を書いたのだ。

 

ぱらぱら。

 

自己啓発本、料理本はきっかけを売っている

本屋さんに行けば、小説、歴史書、絵本、古典、医学など、

多種多様な本が売っていますよね。

 

そんな中でも自己啓発本料理本は多くの棚を占めている事が多い。

 というか自己啓発、料理は出版サイクルが早いように感じる。

 

出版業界事情について詳しく知らないのだが、売れているから

取り扱いが多いのだろう。

 

しかし、正直それらの内容は、過去に出された書籍とそんなに大きく変わらないと思うのだ。

 

自己啓発のオチはほとんど同じ(行動をしろが基軸)だし、

専門的でない、一般家庭に向けた料理本が、毎回奇抜なレシピを提供する訳ではないはずだ。

 

8、9割程度は何度も同じような内容が繰り返されている。

 (健康本も沢山あるが、健康本の主張は結構ばらけている印象)

 

しかし、それでも売れるのだ。

そこから考えられることは、購入者はきっかけを買っているのだと思う。

 

何かを始める為、自分を変えたいと思うから、もしくはモチベーション維持の為に、自己啓発本料理本を買うのだ。

 

本を買うことで、はじめの一歩、更なる一歩を踏み出そうとしている。

 

だから過去に出版されたものと内容が似ていようと、

古本でなく、新品の本にコストを払いたいのだ。

ちょっとした意思表明である。

 

人は新しい自分に変わりたいと思うし、前進したい。

その為のモチベ維持は大変であるから、それらの本はそんなきっかけ作りになっていると思う。

その気持ちはよくわかります。 

僕は停滞が得意ですから。

 

 

ぱぷん。

 

 

 

 

本屋さんは空間デザインも売っている。

 

本好きの方なら、新品の本だけではなく、全国チェーン店などの古本屋さんでも本を購入する事があると思います。

 

古本の方が値段が安いので、購入しやすいと思いますが、

古本屋では購入意欲が搔き立てられる事が、新品を取り扱う本屋さんと比べて少ないのです(個人の感想です)。

 

古本屋さんにお目当ての本があれば別の話ですが、

ふらっと買い、ついで買いの購入意欲が出にくい。

 

それはなぜなのか?

個人的感想、その疑問を列挙していこうと思います。

 

1 新しい本が少ない。

それをここに書くのか?って感じですが。

こればかりはしょうがない。新作の魅力はでかい。

 

2 冊数が少ない。

これに関しても仕方ない事ですが、新品を取り扱う本屋さんに比べて古本屋さんはバリエーションが少ないし、多くの被りの本がある。

 

検索機能があってもいいと前から思う。目当ての本を探しに、在庫があるかないかわからない古本屋さんに行くのは手間がかかる。

 

 

3 古本の値段設定。

古本にしては新品とそんなに変わらない値段設定の本が結構ある。

これも商売なので仕方のないことですが、だったら新品でも良くない?と頭を過ぎることも。

 

4 空間デザインが悪い。

 

空間デザインの問題。これが正直一番大きいのでは?と思ってしまうのだ。

勿論、古本店にも色々なお店がある。小洒落たお店もあれば、大量の本をただ棚に並べただけの本屋さんもある。

 

小洒落た本屋は、冊数が少ないし、値段も高めな事が多い。

 

一方、大量に本を並べた本屋さんは冊数は多いし、値段も強気なところがあると書いたが、安い値段でも販売している。

 

ただ購買意欲を掻き立てるような工夫が少ない気がする。

 

どうしてみんなスタバに行くのかと言えば、空間体験ですよね。

味や商品目当ての人も勿論いるだろうが、その空間、雰囲気ありきの話だと思う。

 

雰囲気が良ければ、財布の紐が緩む傾向はあると思う。

旅先のお土産屋さん、球場のビールみたいもんで。

 

勿論、新品を取り扱う本屋さんでも、空間デザインがお店などによって違いますので、古本屋さんだけの話ではないけども(重要)。

 

 

まぁ、ここで書きたかったことは、

スタバみたいにした方がいい!と言う話ではなくて、

空間デザインで人を集客できるという話である。

 

悪い言い方をすれば、感覚を麻痺させるぐらいの雰囲気があればいい。

 

しかし、古本屋さん側に、そんなところにコストを払うのは無駄だ!と言われたら、

そうですよね。と賛同はします。

改装コストなどを回収できる気がしませんので。笑

 

客層の間口を広げるなら、今がベストの形なんだろうね。

そもそも読書する層の紙離れも多いし。難しいね。 

ぽん。